sasayannのアリギリスな夜 92日
今回は、犬の飼育歴のNO2
前回は雑種のチビでした。
今回は、その後、何故かドーベルマンを飼う事になりました。
ドーベルブラックロミーという血統書名で♀色がブラック&タンでした。
知り合いの人が居ぬが好きで、コロを貰ったところですが、ダックスフンドを
飼っていました、そこの人の紹介で、飼う事になりました。
洋服屋さんで犬が好きで、審査員の資格もあり、後に犬の店を開く人物ですが
当時、8万円で飼う事になりました。
名前はベラと名付けました。祖父が戦争中、軍用犬で飼っていた、ドーベルマン
と同じ名前です。途中で断耳の手術をしましたが、当時は高校生の自分は立てる
事が出来ませんでした。バルサでの添え木でしたがやり方は定かではなく
立てなかった事を覚えています。
その後、数年して発情期、2回目に交配をして数頭出産しました。親戚のおじさんと
犬小屋でお産を立ち合いました。6匹産まれたけれど、3匹が引き取られて行きました。
その後、出産はしませんでしたが、散歩や運動はバイクで引き運動をしていましたが、
5年位して、フェラリアで死んでしまいました。
当時は予防薬もなく、獣医に行くと、別の病名でしたが、お腹がパンパンに膨れて
居ました。途中で自分は専門学校で東京に行ったので、家の人が見てくれていました。
東京に帰る時はないて居たと後で聞いて、せつない思いででした。
その後、ハスキーブームがあり、ハスキーを飼う事になり昨日の写真の通り美人のカードンと名付けました。血統書の名前より、メスでしたが、その頃は場所が狭く良く道路に出ていました。やさしい犬でした、カードンもどこかの野良犬だと思いますが、2匹の子供を産み、友人に飼ってもらう事になりました。
8年くらいしてからかな!朝行くと死んでいました。
火葬場に行き、お願いしました。
その頃、家の中ではシーズーのアミーを飼っていました。
とても利口で、トイレも教えることなくシーツにしていました。
お店で教えていたとの事です。アミー・スワ・シラカバが血統書でした。
皆どこかにしまい込んでありません
自分の祖母、祖父、母と可愛がられ、いつも一緒にいた事を覚えています。
花火など大きな音が嫌いで、震えていました。アミーも8年位だったかな?
1回、アミーも子供を出産して1頭でしたが知り合いの元に行きました。
その頃、ハスキーのオスが飼いきれないと家に来ました、しばらくして飼いたいと言う人が現れて里親にでました。
シフォンの話は犬物語NO3で話します。
当時、犬のチビの子供6匹の飼い主探しに苦労したことが血統書付きの純潔種に
なっています。すべて、洋服屋さんからですが、その頃は犬やとトリマーを
やっています。子供たちもそれを継いでいます。
トリマー指導の資格もあるようですが、審査員になるのも大変だと思います。
好きこそものの上手慣れではないですが、自分も審査員獲ろうとしましたが
諦めました。飼育管理士の資格は持っています。